2008年02月23日
ブログ復活です
しばらくご無沙汰でした。
公私さまざま、いろいろとあったりあちこちに自分のブログやら何やらがあって執筆の手が足りなくなり、このブログも十分ブログ生かし切れていない状況でした。
レス下さっていたイーラ・パークの皆さんにもすみませんでしたが
年があけて少ししたら、だいぶ落ち着いてきたので、またぼちぼちとやっていこうと思います。
よろしくお願いします。
公私さまざま、いろいろとあったりあちこちに自分のブログやら何やらがあって執筆の手が足りなくなり、このブログも十分ブログ生かし切れていない状況でした。
レス下さっていたイーラ・パークの皆さんにもすみませんでしたが
年があけて少ししたら、だいぶ落ち着いてきたので、またぼちぼちとやっていこうと思います。
よろしくお願いします。
2007年05月18日
矛盾 ~富士山世界遺産へ、の苦難~
最近あちこちで「富士山を世界遺産へ」「富士山を文化遺産へ」と、
声高に叫んでいる人たちがいる。
もちろん、地元大好きっ子な私にとっても、なんとか遺産になれば
それほど嬉しいことはない。
でも、叫んでいる人たち自らが、富士山の環境を破壊していたりして、
話を聞いているだけで「おいおい大丈夫か」と思うことがしばしば。
よくあるのが、世界遺産へ!と活動している人が、
富士山麓に工場を誘致して産業の活性化をはかって、固定資産税や法人税の増加、
雇用者の市県民税の増加をはかって、地域財政の助けになれば、とのたまっていたり、
リッター5も走らない不経済な車にのって排気ガス撒き散らしていたりと、
結局名誉と金の事しか考えてないっていうたとえ話。
ただでさえ、富士山麓の廃棄物、多数のレジャーランドの存在等々、いろんな要因が
からみあって世界遺産化への評価の妨げになっているといわれているのに、
要因をさらに増やしてどうするんだ~、という感じですね。全く矛盾しています。
あと、「私は富士山が好きです、自然を愛しています。なので、
年に5回は富士山に登ります。」と、自信満々に語る人もおりますが、
申し訳ないけど、そんなあなたが登ると、ゴミも増えますし、
し尿(トイレ)処理の問題も発生しますし、駐車場へ行くのに車の排気ガス
撒き散らしますし、その辺わかってますか?と言いたくもなってしまいます。
富士登山するなとまでは言いませんけど、登山許可制にしたらどうですかね。
一人、生涯の登山権利1回とか2回とか。(そういうのはやったほうが良いよね)
あと、富士山産業で生活している人(会社)がいる以上、
各々が、同じ目的と強い意志で、徐々に既存の利権を放棄して、
それに変わる産業・ナリワイを創出しないとことには、(キビシー!?)
この議論は結局いつまでも平行線のような気がします。
なんて、言うは易し、行うはナントカですかね。
さて、そんな私は、高校の時の遠足で強引に6合目あたりまで
登らされたのと、環境啓蒙活動(富士山人)活動で5合目駐車場に行っている以外には
富士山には登っておりません!
って、自信満々にのたまってみようかと思ったのですが、
住んでいるところがすでに富士山の一部!?てなわけで、これまた矛盾!?というか、
なんていうんでしょう、ボキャブラリー不足ですんません、なんだか、
逃れられないところにいるわけです。
というわけで、
そもそも、富士山だから大切にしなければいけない、
世界遺産にしたいから問題提起する、ではなく、環境はいかなる場所も等しく、
大切にしなきゃいけないんですよね。
大自然に生かしてもらっている。
食べさせてもらっている。
そのことを認識して、感謝の念を持ちつつ、行動していかなければいけないと思う。
なんて話をすると「なぜ大切にしなきゃいけないのか?」なんてわざわざ聞いてくる人もいる。
大切にしなきゃいけないものは、大切にしなきゃいけないんだ。理由なんて無い。
(なぜ人を殺してはいけないか、という理由を求める論議と一緒。理由なんて無い。だめなものはだめなんだ)
でも、あえて聞かれて答えるのならば、私たち一人一人が「環境・大自然の一部」だから。
環境を傷つけることは、ぐるりと回って、結果的に悪化した環境によって
自分たちが傷つく。
そう、環境を大切にするということは、自分を大切にすることと同じ意味。
それをわかって、行動できるかどうかで、環境だとか未来だとかは変わると思うし
全員が一丸になれれば、富士山世界遺産どころか、日本そのものが世界遺産になる
日だって来ると思うこの頃なのです。
声高に叫んでいる人たちがいる。
もちろん、地元大好きっ子な私にとっても、なんとか遺産になれば
それほど嬉しいことはない。
でも、叫んでいる人たち自らが、富士山の環境を破壊していたりして、
話を聞いているだけで「おいおい大丈夫か」と思うことがしばしば。
よくあるのが、世界遺産へ!と活動している人が、
富士山麓に工場を誘致して産業の活性化をはかって、固定資産税や法人税の増加、
雇用者の市県民税の増加をはかって、地域財政の助けになれば、とのたまっていたり、
リッター5も走らない不経済な車にのって排気ガス撒き散らしていたりと、
結局名誉と金の事しか考えてないっていうたとえ話。
ただでさえ、富士山麓の廃棄物、多数のレジャーランドの存在等々、いろんな要因が
からみあって世界遺産化への評価の妨げになっているといわれているのに、
要因をさらに増やしてどうするんだ~、という感じですね。全く矛盾しています。
あと、「私は富士山が好きです、自然を愛しています。なので、
年に5回は富士山に登ります。」と、自信満々に語る人もおりますが、
申し訳ないけど、そんなあなたが登ると、ゴミも増えますし、
し尿(トイレ)処理の問題も発生しますし、駐車場へ行くのに車の排気ガス
撒き散らしますし、その辺わかってますか?と言いたくもなってしまいます。
富士登山するなとまでは言いませんけど、登山許可制にしたらどうですかね。
一人、生涯の登山権利1回とか2回とか。(そういうのはやったほうが良いよね)
あと、富士山産業で生活している人(会社)がいる以上、
各々が、同じ目的と強い意志で、徐々に既存の利権を放棄して、
それに変わる産業・ナリワイを創出しないとことには、(キビシー!?)
この議論は結局いつまでも平行線のような気がします。
なんて、言うは易し、行うはナントカですかね。
さて、そんな私は、高校の時の遠足で強引に6合目あたりまで
登らされたのと、環境啓蒙活動(富士山人)活動で5合目駐車場に行っている以外には
富士山には登っておりません!
って、自信満々にのたまってみようかと思ったのですが、
住んでいるところがすでに富士山の一部!?てなわけで、これまた矛盾!?というか、
なんていうんでしょう、ボキャブラリー不足ですんません、なんだか、
逃れられないところにいるわけです。
というわけで、
そもそも、富士山だから大切にしなければいけない、
世界遺産にしたいから問題提起する、ではなく、環境はいかなる場所も等しく、
大切にしなきゃいけないんですよね。
大自然に生かしてもらっている。
食べさせてもらっている。
そのことを認識して、感謝の念を持ちつつ、行動していかなければいけないと思う。
なんて話をすると「なぜ大切にしなきゃいけないのか?」なんてわざわざ聞いてくる人もいる。
大切にしなきゃいけないものは、大切にしなきゃいけないんだ。理由なんて無い。
(なぜ人を殺してはいけないか、という理由を求める論議と一緒。理由なんて無い。だめなものはだめなんだ)
でも、あえて聞かれて答えるのならば、私たち一人一人が「環境・大自然の一部」だから。
環境を傷つけることは、ぐるりと回って、結果的に悪化した環境によって
自分たちが傷つく。
そう、環境を大切にするということは、自分を大切にすることと同じ意味。
それをわかって、行動できるかどうかで、環境だとか未来だとかは変わると思うし
全員が一丸になれれば、富士山世界遺産どころか、日本そのものが世界遺産になる
日だって来ると思うこの頃なのです。